矛盾

  発作が起こったのだろうか。咄嗟にそう思った。 隣に眠るイタチが、伏せたまま妙な呼吸をしている。 肘をつき僅かに上体を起こしたかと思うと、額を擦り付けウッと息を詰めた。 その口元を濡らしてらりと光るものと、酸の匂いに何が起こったか理解して駆け寄る。 するとゆっくりと視線が向けられた。意識はあるようだ……が、すぐに俯く。肩にかかった黒髪がサラリと流れる。苦しそうに強張る背を擦る。喉が不自然に音を立てた。 そうしていたのも束の間、イタチは身を起こした。無理矢理にそうしたのだろう、その顔色は真っ白で、落とした視線も覚束ない。体調が悪いのだろうと問うと、それには答えず、視線を彷徨わせた。 その視線は汚れたシーツで止まり、細められる。すまないなと掠れた声で呟いた。シーツを乱暴に掴むと洗面所へ向かう。ついていこうとすると手で制された。 「たいした事はないから。そこにいてくれ」 意外にも足取りはしっかりとしていたので心配ながらも待つことにする。 ドアの隙間から窺うと、シンクにしがみつくようにして二回、三回と咳き込んでいた。ザアザアと早い水音に紛れて、堪えきれない小さな呻き声が聞こえてくる。 そうして30分は経っただろうか、吐くものも無くなったのか戻ってきた。 イタチから血の匂いがしない事に、まずは胸を撫で下ろす。 発作でないとしたら、思い当たる節がある。それを言ってしまえば、身に覚えがあると伝えるようなもので、隠す自信がないオレは、眠ったふりをした方がいいのかもしれなかった。だがあいにく、彼に下手な狸寝入りが通用するとも思えない。 だが、恐る恐る振り向いたオレのそれは杞憂に終わった。イタチはこちらを見ることもなく、ぐったりとベッドに身を沈めていた。 死体、死体、死体。死体は見慣れている。目の前の景色が暗く淀んでいようと、そこに死体がいくつ増えようと、今更何も思わない。 それなのに胸元にもやもやとした感覚が生じるのを感じる。 何に不快感を感じているというのだろう。助けられなかった、ここに横たわるたくさんの人だろうか。この手を濡らしぬるりと滑る血か?いいや、目の前に蹲る弟。弟を泣かせている自分が忌々しいのだろうか。ふと、肩に手を置かれる。温かい手だ。よく聞きなれた、人を安心させる声で、いつか聞いた言葉を耳に吹き込まれる。頼れるのは親友のお前だけだ。何を頼ると言うのだろう。オレたちが、目指していたのは何だったか。 彼の言葉で思い出した。今目の前にある死体は、全部、うちはだ。任せたぞ。シスイが笑った。それを聴きながらオレは残ったうちはに手を掛ける。間もなく息絶える二人は、わかっていると口にした。親不孝者にかけるにはなんと不似合いな優しい声だろう。不快感は見る間に膨れ上がっていった。ああ、気分が悪い。さっきまで泣いていた弟がぱっと顔を上げる。飛び上がるようにして、無邪気な顔をで駆け寄ってきた。相反する情報に脳が掻き回され、視界が揺れる。心臓の音が煩い。 胸元の気持ち悪さがついに限界を迎える頃、突然景色が切り替わった。先程までとは違う、ただ光源を持たないことによるグレー。白いシーツと枕。口中を満たす不快な味だけが継続していた。たまらずえずくと誰かが飛んでくる気配がした。ぼやける視界を向けるとくつろいだ衣服のサスケがそこにいた。 部屋着。そうだ、ここはオレたちの部屋か。頭が状況を飲み込み始める。まずい。 目眩と共に、続け様にこみ上げてくる胃液をなんとか飲み下そうとする。無理を強いられた体がびくりと震える。 そのうちに、どうにか波は収まった。動いてもすぐには戻さないと判断し身を起こす。サスケが心配げに覗き込んでくる。ギョッとした顔をしていた。それはそうだろう、悪い事をした。 喉が痛み、今しがた起こったことを主張する。無理やり元の場所に戻した胃の中身が質量を持って胸を圧迫してくる。忌々しいこれを早く処理したかった。 急いて見えないよう、ゆったりとした足取りでシンクに向かう。 その間にもせっかちな身体が胃を押し上げる。苦しさにじわりと涙が滲んだ。 朝、サスケは既に布団におらず、珍しく料理をしている気配を感じた。 柔らかな香りが漂ってくる。肩越しに覗き込むと、座ってろと食卓に追いやられた。 「食えるか」 訝しげに眉を潜め、ジト目を隠さず見てくるものだから、笑みが溢れてしまう。サスケはますます不機嫌そうに口を尖らせた。 ああ、問題ない。昨日は少し薬の飲み合わせが悪かったのだろう。驚かせてしまったな。 飲み合わせで、人前で吐くほど体調をおかしくしたことはない。違和感を感じるかもしれない。でも、弟はその違和感を表す言葉を知らないだろうから、かまわないだろう。 無理するなよ、具合がおかしかったらすぐ言え、兄貴はオレより丈夫じゃないんだから。 はいはい、弟の声に相槌を返して匙を口に運ぶ。料理が上手くなったようだ。素朴だがじっくりと出汁のとられた味は、ぶっきらぼうだが優しい弟の性格をそのまま映している。 ここには矛盾なく温かいものだけが存在していた。

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